2018年に東京から高知に移住して早くも6年が経とうとしている。
勤めていた会社を辞め、高知という陸の孤島、たぶん甑島とかのちょっとマイナーな離島くらい現代の経済圏から隔絶された地に移住した理由はなんだったのか。
私は、表向きには、東京から高知に移住した移住者でありアウトドア用品メーカーのオーナーをしている。
これは私の一面で、実は年の半分くらいを費やして冒険を生業としている。生業といっても冒険が金になることは無く、のめり込みすぎた趣味という表現のほうが一般的にはしっくりくるかもしれない。
東京から高知に移住する時、もともとサラリーマン時代に縁のあった地とはいえ、なぜ安定した仕事を捨てて移住するのか、移住は私の人生にどんな変化をもたらすのか、とずいぶん考えた。都会の方が明らかに仕事は多様だし、無難な人生を送るには良い条件が多い。しかし、サラリーマンとして一生過ごすことを受け入れ、なんとなく日々を過ごす同僚たちに無性に腹が立つことが多かった。
「他人に与えられた環境で過ごす人生に満足はない。自分の人生は自分で決める」
当時28歳、まだ若かった私は、いきりたって移住を決意した。
当時と比べて、私の社会的価値はどう変化したのだろうか。当時は中堅企業のサラリーマン、社内の人間関係は良好で収入もまずまずだった。現在は田舎暮らしの個人事業主で、収入は当時と大して変わらず安定性はゼロ。資産価値のない古民家(ボロ屋)に住み、資産価値のない車をコレクションし、年齢も30代中盤である。
社会的に見れば明らかに悪化している。
そもそも私にとって高知移住とは冒険とでもいうべきものだった。冒険、というと大袈裟に聞こえるかも知れないが、古典的な冒険、人類にとっての冒険としてではなく、個人の挑戦として移住が人生を賭けて取り組むべき冒険に思えたのだ。
一般的な尺度で言えば、新たな恋人と付き合うことは冒険で、結婚も冒険、転職も冒険といえるかもしれない。これでは少し夢がなさすぎるが、私は、もう少し自由な発想で自分の人生に大きな変化をもたらせる行為であれば冒険と呼んでいいのではないかと思っている。実際に、高知移住は私の人生に実に多くの変化をもたらしてくれる冒険として価値があった。
私の裏の生業である冒険はどうだろうか。現代において原理主義的な冒険行為などほとんど残されていない。私の冒険も渓谷の中にある「ゴルジュ」と呼ばれる地形的に厳しい場所に赴き人跡未踏の空間を探す、という落穂拾い以外のなんでもない。
ちなみに普段関わりのある友人たちにゴルジュに行くのが生き甲斐で、ゴルジュこそ冒険の余地が残されている、と力説しても当然理解されないので最近はゴルジュの話はしないようにしている。社会の内側にいる人々に、のめり込み過ぎた趣味というものは理解できないらしい。
冒険というものは一般社会と齟齬をきたすもののようだ。一般社会に生きる人間に共感してもらえる行為は冒険ではないといえるかもしれない。
これは、東京から高知に移住するとき”田舎移住するなら山梨とか長野にしたら?”と嫌気がさすほどアドバイスされたのとどこか似ている。高知移住とゴルジュ探索は一般社会の内側にいる人々からは理解しがたく、社会的説明を求められる反社会的行為のようだ。
一般社会と齟齬をきたす行為を行う者の多くは、映える写真や表現で自らの行為を一般化しようとする。映える写真や表現により、自分の行為を一般社会から評価可能な状態にして、あたかも自分自身の行為が社会の枠組みの内側にあるかのように見せかけるのだ。だが、自分の行為を社会的に位置付けることは冒険性を失うことと同義ではないだろうか。冒険とは本来クリエイティブな行為であって、社会的に価値を共有されている枠組みの中に自らはまりこんでいく行為とは対極のはずだからだ。
そうやって考えると私が東京から高知に移住してからの6年間は個人的な冒険行為を追求した6年間ということになる。
初めから意図していたわけではない。移住当初は古民家暮らしのオシャレな日々を動画サイトに投稿もした。友人たちからの評判は結構良かったし共感してくれる人々の訪問も多かった。しかし私自身がやりたいこととの乖離を感じていたのも事実だった。
いつしかブログの記事は、オシャレ移住生活から古民家の高気密高断熱耐震化リノベーションに、妻との絶景スポット観光からゴルジュ探索へと変わっていった。周囲の友人たちからは社会の枠組みから外れていったように見えただろう。実際、今の私の生活に共感してくれるのは、妻と、冒険仲間くらいしかいない。昔からの友人は私が魂を込めて取組む個人的冒険など興味はないようだ。
しかし、それでも私にとって高知移住もゴルジュ探索も個人的冒険として大きな価値を持ち続けている。どちらもが真剣に取り組んでいる時間はこの上ない充実感を感じるし、これまで到達できなかった領域に踏み込んでいく高揚感もある。これは社会的に評価されるかどうかではなく私自身が楽しいと思える、行為の目的であり、私が高知移住で目指した姿そのものなのだ。