赤川 地獄谷|沢登り

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「いろんな沢の経験をすると色んなパターンとかが頭の中に入って行って、初めて見るけど驚けないみたいな、そうなっていくみたいなとこはけっこうあってね」

「(中略)自然っていつも予想を超えてくるけどね。見るたびに、毎回人生変わってるかも。スゲー!!ってなるよ」

The Tribe 険谷を旅する人たちII_3

赤川地獄谷は、間違いなく私の人生を変える渓谷の一つだった。

私が沢登りにのめり込むきっかけとなった出来事のひとつに、「渓谷登攀事件」というものがある。

それは、まだ私が沢登りを始める前のこと。書店で平積みになっていた『渓谷登攀』(大西良治 著)の表紙がなんとなく気になり、購入した。ページをパラパラとめくっていると、強烈な個性を放つ渓谷に出会った。赤川地獄谷だ。

『赤川地獄谷は日本で五指に入る名渓だと、私は確信する』。氏の言葉を裏付けるように、掲載された写真のどれもが強烈な個性を放っていた。だが、肝心の見開き写真──おそらくゴルジュの核心部──が、製本の糊付けでどうしても見えない。私は即座にKindle版を買い直した。電子書籍であれば、写真の隅が見切れることなく渓谷の全貌を見ることができるはずだと思ったのだ。

一冊3,850円の書籍ではあるが、その一枚の写真には確かにそれ以上の価値があった。当時抱いた純粋な未知への好奇心は、より純度を増していまも私の中に息づいているように思う。

それから三年半。2025年9月から始まった沢登りトリップも40日を過ぎ、モチベーションは底をつき、ホームシックで帰宅したくなっていたところに、大西氏から赤川地獄谷のお誘いをいただいた。同じ渓谷に二度訪れることは滅多にない氏であるが、核心部の大滝登攀と、2014年の噴火以降の渓相がどうなっているかが気がかりで、再訪したいという。

「今年はもう沢納めかな」などと考えていたが、赤川地獄谷となれば話は別だ。私が沢登りにのめり込むきっかけとなった渓谷に、そのきっかけを作った大西氏と訪れる。私から7,700円もの大金を巻き上げた赤川地獄谷には、いったいどんな世界が待っているのだろうか。

赤川地獄谷|沢登り|2025,10,11 – 12
メンバー:大西|溝内|鈴木|大木|Ray|Lee

一日目

赤川の本流である濁川が、赤川と白川に分岐するあたりから河原を歩く。一時間ほどで谷はゴルジュ地形となり、下部ゴルジュが始まる。ときに100mを越える側壁が現れるなど、期待通りの世界観が展開される。

大きくハングした30m滝を右岸から高巻くと、下部ゴルジュ終了。いったん地形は開ける。とはいえ、谷底には滑床が連続し、紅葉と相まって名渓の風格がある。次第に地形は傾斜を増し、中部ゴルジュに突入。入渓直後から赤みを帯びていた水流の色は、より一層深みを増し、まるで血のように見える。2014年の噴火により側壁下部の灌木は軒並み焼き払われ、立ち枯れの木と岩壁、真紅の水流が支配する空間となる。

中部ゴルジュ出口の大滝は、大西が遡行した際と大きく地形が変わり、登攀ラインが消失していた。滝の中程には新たな源泉が出現し、滝壺空間は湯気に満たされている。火山性ガスの危険もあるが、地獄の中心地のような景色に吸い寄せられるように近づいていく。心地よい湯温に長居したくなるが、ここは地獄の中心。早く先へ進まなければならない。中部ゴルジュ上部の河原でC1。

二日目

C1を発つと、即座に上部ゴルジュとなる。赤みを帯びた脆い側壁は上空数百メートルまで伸び上がり、その真ん中を鋭く穿つ谷の中心に、真紅の水流が落ちる。上部では霊峰・御嶽山が噴煙を上げ、地獄谷がその本領を発揮する。

大西の課題である上部ゴルジュの大滝。大西と溝内が登攀を開始するが、やはり一筋縄ではいかない。下部15mだけで一時間近くかかる内容で、このまま全員が直登ラインをとれば、今日中の下山は不可能だろう。登攀中の二人を残し、他のメンバーは高巻くことにした。

高巻きの途中上流に目を向けると、谷は切れ込みを増し、先ほどまでいた空間は足元はるか彼方に沈む。上部では積乱雲が巻き起こるように噴煙がとめどなく噴出され、谷に戻るも尾根を歩くも生命の保証はない。火山ガスや落石など制御不能なリスク、メンバーの体力、残り時間──種々の条件を考慮し、co2500にて撤退を決意。

結局、渓谷登攀事件で見たあの景色を拝むことはできなかった。あの先には、いったいどんな景色が広がっていたのだろうか。再訪の機会があったとして、リスクを取って先に進む決断が私にできるだろうか。さまざまな思いが逡巡する。

三日目

上部ゴルジュ大滝の登攀に成功した大西と溝内は、その先で見事にハマり、24時まで行動したうえで野晒しビバーク。翌16時、遡行を断念して下山してきた二人をピックアップする。

「見事にハマったわ。そっちはよく下山の判断できたね、さすが」「体力的に限界のメンバーがいたってのもありますが、前進のリスクは俺には許容できないと思いましたね」

結果的には撤退の判断は正しかったようだ。だが、あの壮絶な空間を遠目に見ただけで納得したことに、後悔は本当にないのだろうか。日本屈指の景観をもつ赤川地獄谷に対する向き合い方として、全力を尽くせたとは言い難い。

なんにしても、再訪するなら二、三人のパーティにするだろう。

総評

日本屈指の渓谷美を誇る秀渓。個人的な好みは大水量のゴルジュにだいぶ偏っているが、それでも赤川地獄谷は、私にとって国内で五指に入る名渓だ。火山ガスや、すべての装備を錆びさせる酸性の水流、ボロボロの側壁──その険しさもまた赤川地獄谷の魅力であり、ひとつの完結した世界観を形成している。

赤川 地獄谷の場所