
古くから沢登りが行われてきた日本において、今やほとんどの渓谷が踏破され、未知のまま残されているものは、ごくわずかしかない。その限られた人跡未踏の谷の一つであり、かつ大規模を誇るのが、北アルプスの立山に源を発する称名川下ノ廊下である。(中略)
先鋭的な沢屋のなかで「日本最後の地理的空白地帯」というフレーズが掲げられた称名廊下は、当然、皆の憧れの的となっていたが、同時に遡行を不可能視されているような沢でもあった。
『渓谷登攀(大西良治 著)』より抜粋
『渓谷登攀』を読み称名廊下の存在を知った当時の私にとって、そこは宇宙空間と同じくらい遠い世界だった。
稀代の遡行者大西氏をして、数十日におよぶ偵察と一週間という遡行期間を費やした日本最強のゴルジュ称名廊下。その称名廊下を第二登する日が来るとは、当時の私に言っても信じてもらえないかもしれない。
最高のパートナーと最高のタクティクス、そしてわずかばかりの運に恵まれ、称名廊下に新ラインを引けたことを幸運に思う。
初登者大西氏が詳細記録を非公開としたことで、我々の挑戦は最大限クリエイティブな遡行ラインとして結実した。大西氏に敬意を表し詳細記録は非公開とする。
称名川_下ノ廊下|沢登り|2024.10/5〜6
(10/5 – 10:30称名滝落口 〜 10/6 – 15:00称名廊下出口|オンサイト|ワンプッシュ|ボルト不使用|R&S106 ON SITE 03 掲載)
メンバー:大木輝一|鈴木助
プロローグ
以前、称名廊下を観光しに行ったことがある。持参したロープを全部連結しても側壁の中ほどまでしか下降できず、宙吊りで見下ろした称名廊下。高さ200mの側壁は遥か彼方まで直線に伸び、谷底では膨大な水流が複雑に屈曲した水路を洗い流す。侵入者を、明確な意図を持って拒んでいるかのような称名廊下の光景は、初登から10年以上、第二登を許していないことを納得させるのに十分な、壮絶なものだった。
2022年以降、取り憑かれたように渓谷開拓に情熱を燃やしてきたが、特に強く憧れを抱いたのが称名廊下だった。日本最大規模のゴルジュであり、未だ未知が残る称名廊下を、いつかは遡行したいと夢見ていた。そう、称名廊下には未知が残されているのだ。初登者の大西良治が詳細記録を公開しなかったことで、遡行ラインはもちろん、内部の景観に至るまで、称名廊下について事前に知ることのできる情報はわずかしかない。
称名廊下遡行は挑戦の成否に関わらず、それなりのリスクを受け入れる必要がある。より多くの未知が残されている水線を遡行したい、という個人的なこだわりもあり、パートナーは激流でのタクティクスに精通した、つまり沢ヤかつキャニオニア、しかも命懸けの覚悟を持っていることが必須条件だった。
キャニオニングに精通した沢ヤはほとんどいない。命懸けの覚悟も必要となれば、そんな人物がはたして存在するのだろうか?という疑問すら浮かぶ。「このまま、パートナーが見つからずに情熱が薄れていくのかもしれない」と薄々感じていたが、2024年春に転機が訪れる。
とあるイベントがきっかけで、大木輝一(テル)と出会うことになる。テルは私より4つ年下で、数年前から沢登りの神こと大西良治のパートナーとして沢登り・キャニオニングで頭角を表してきた男だ。どうやら名の知れたクライマーらしく『危ない男(テルの通称)』として何か大きなことを成し遂げそうなオーラを放っていた。
初めてテルと一緒に渓谷に入ったのは2024年6月のこと。南アルプス黒桂河内川の下部ゴルジュを沢登りしたあとにキャニオニング下降したのだが、増水で濁流と化したゴルジュをいとも簡単に突破し、キャニオニング下降の連携を難なくこなす彼を見て、運命の出会いを感じた。
それからの話は早かった。オンサイト・水線突破を目標に称名廊下遡行にトライしようと、その日のうちに約束する。正直なところ、オンサイトは無理なんじゃない?と思っていたが、テルは常にイケイケで突っ込む気満々のようで、とりあえず合わせておいた。日程は10/4〜7の3泊4日の予定だ。
称名廊下遡行
10月3日(予定日前日)
夜にまとまった雨が降り、今秋の渇水が平年並みに戻ってしまう。翌日も雨予報のため入渓を1日遅らせることにする。
精神的に不安定だったのか、学生時代の友人などに意味もなく連絡をとり、飲みの約束を何件も取り付けた。
10月4日(予定日1日目|停滞)
今日もまとまった雨が降り称名滝は雪解けの季節を思わせる豪瀑と化した。称名川は濁流で溢れんばかりの状態で、とても称名廊下に入ることなどできないコンディションだ。予定の最終日である10/7も雨予報と、状況は悪い。
不思議なことに、悪天候に安心している自分がいた。気合を入れて準備してきたが、明日の挑戦が失敗に終わりそうな今の状況に、これで命懸けの挑戦をしなくて済むのだ、と安堵していた。
10月5日(入渓1日目)
10:30|称名滝落ち口
称名滝落ち口の水流を跨ぐところから称名廊下遡行は始まる。先日からのまとまった雨で水流を跨ぐことなど到底不可能、ということはなく簡単に対岸に渡れてしまう。これはまずい。ただでさえ天候不順で2日間しか日程がないのに、どうせ無理でしょ、と諦め半分だったこともあり現在時刻が遅すぎる。しかし水流を跨げてしまった以上、行けるところまで進むしかない。
10月6日(入渓2日目)
12:00|称名廊下後半
高巻けば3時間はかかるであろう険悪なCSをテルが鮮烈な登攀力で水線突破する。ここまでは、明日天気が崩れる前に称名滝落口まで引き返せる算段を持って進んできた。しかし、この先に進めば引き返せる可能性は相当低くなる。
これ以上進むのなら、正真正銘”命懸け”で、称名廊下遡行を完遂しなければならない。先に進む判断は、それなりの確率で突きつけられる死を受け入れることと同じだ。多量のアドレナリンにより平常心でない自覚がある。こんな精神状態でまともな判断ができるわけないと、頭の片隅で考えているが、口を衝いて出た言葉は純粋な己の欲望だった。
「行ける。この時間なら抜けられる。進もう」
日本最強のゴルジュに、オンサイトで、水線突破ラインを引く。この瞬間にしかできないクリエイティブな行為は、大きなリスクに十分値する。
称名廊下出口付近
振り返ると薄靄のかかった廊下に陽光が差し込み、金色に輝いている。側壁は100mまで高度を落とし、先ほどまでのような威圧感は、もう、ない。昨日の朝、軽々と背負っていたザックを気合いとともに持ち上げ、ヨロヨロと前に進む。最後の釜を泳ぎ渡ると、称名廊下出口が広がっていた。
ザックを広げると、わずかしか持参していなかった食料が半分以上残っている。そういえば、腹が減った。いつもなら30分もあれば登れる斜面を、何度も座り込んで休憩しながら、2時間くらいかけて登山道へと戻る。ボロボロの肉体だけが称名廊下遡行を証明しているようだった。
大日平から見下ろす称名廊下は雲海に沈み、先ほどまで身を置いていた非現実的な空間を、存在していないかのように覆い隠している。夕日を浴び極彩色に染まる大日平が今も目に焼き付いている。
- 称名滝落ち口
- F9
- F10
- 称名廊下出口付近から廊下を振り返る
- 称名廊下出口へと向かう
- 称名廊下遡行を終えて
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