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剱沢(剱大滝|剱沢大滝)|沢登り

ゴルジュクラブが執筆しました

”究極の観光旅行”

剱沢は日本屈指の険渓として沢ヤの憧憬をあつめ、沢登り人生の目標に掲げる者も多い。にもかかわらず、50年ほど前に初遡行がなされて以来その内部を通過した者は未だ100人に満たないという。300メートルはあろうかという側壁の中を大水量で溢れさせ大滝を複数内包する、国内では稀な大ゴルジュである剱沢に、いち沢ヤとして私も憧れを抱いていた。

意外にも、剱沢の情報は世に溢れている。これほど難易度の高い沢でありながら情報が多いのは多くの沢ヤの目標とされるからだろうか、書籍をはじめネット・SNSなども総合すれば剱沢に関するほぼ全ての情報を事前に知ることができる。キャニオニングによる水線突破もなされ未知も残されていない。そしてなにより剱沢には残置が多い。50年以上前から開拓されてきた剱沢には多量のボルトやロープが残置され、それが観光ガイドとなっている。

情報や残置を無視して己のラインを引く行為は私が志す冒険行為とは全く性質の異なるもので、肉体の優劣を競うスポーツ的性格が強い。剱沢ほど手垢に塗れた渓谷なら、いきりたち己のラインを引くのではなく、究極の観光旅行と割り切った方がむしろ自然じゃないか、などと要するに剱沢と真向勝負しない言い訳をあれこれ並べたてて既存ルートで観光してきた。

同年10月12日、大木輝一らパーティにより剱沢大滝に新たな遡行ラインが引かれた。完全な水線突破とはいかなかったが、日本屈指の険谷である剱沢に新たな冒険性を定義し、完遂したことに敬意を表します。

「険谷」剱沢|大木輝一 著

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剱沢|沢登り|2024.10.14 〜 17
メンバー:ゴルジュスズキ・木村商店・リュウスケ

剱沢の遡行図など詳細情報は、険谷シリーズ「剱沢」を参照。

1日目

アラームの音で目が覚めると、車の窓が凍りついていた。扇沢の朝は寒い。紅葉シーズンということもあり、始発2時間前にも関わらずトロリーバス順番待ちの列は50メートルくらいある。皆、少しでも早くチケットを手に入れようと間を詰めて並んでいるが、穴だらけのカッパやザック(ザックの穴は元々ある水抜き穴だが)に身を包み、地面に座り込む我々の周囲には少しだけ空間が開いていた。

なんとも居心地の悪い順番待ちとトロリーバス乗車を終え、黒部ダムへ。足早に水平歩道へと向かう我々に3人くらいのお姉様グループが声をかけてきた。我々に声をかける女子とは珍しい。しかも剱沢へ向かう我々を、メチャクチャ褒めてくれた。内心舞い上がりながら平静を装っていると、リュウスケが「紀伊半島彷徨クラブって、知ってますか?俺、そこで沢登りやってるんす」と自己紹介し始めた。舞い上がるリュウスケをみて危うく自己紹介しそうだった3秒前の自分を戒め、最後までクールな男を貫く。ちなみに私はそのような怪しいグループには所属していない。

水平歩道を歩き出してほどなく、暖かな日差しが差し込み穏やかな1日となった。今朝の冷え込みとはうって変わって汗ばむほどの陽気となり、半裸で水平歩道を歩く。すれ違ったお姉さまにまたもや声をかけられ「服着てたほうが涼しいんだよ、知ってる?」とありがたいお言葉をいただくが、ウエットスーツとカッパしか持っていないので、クールにやり過ごす。

穏やかな水平歩道ハイキングを満喫しながら進む。道は歩きやすいが渓谷の造形は壮絶なもので、過去水平歩道がない時代にこの地に踏み入った先人の気迫を感じずにはいられない。昼前には剱沢入渓地点の十字峡吊り橋に到着した。

剱沢は十字峡のすぐ上からゴルジュとなる。一般的には右岸を高巻き、懸垂下降して遡行開始するようだが、ゴルジュ内部を覗き見しようと中に入る。いくつかの小滝を越えていくと100メートルほどでゴルジュは終わる。その先は剱沢大滝に至るまで河原となっていて、一番快適そうな砂地を選び泊まることにした。

500メートルほど先には剱沢大滝の壮絶な側壁が聳え、あの中に明日踏み込んでいくことを考えると興奮してなかなか寝付けなかった。

2日目

テン場から少し進むと巨岩のゴーロとなり、時に渡渉が必要になる。側壁が立ち上がり谷が屈曲していく、その先に轟音と共に水飛沫が舞っている。

廊下を抜けると、大岩壁を真っ二つに割り、真直ぐ、本当に真直ぐに瀑水を落とすI滝が鎮座していた。60メートル上空から一直線に、剱沢大滝の全エネルギーを膨大な水量に乗せ滝壺に叩きつけ、その一部は水面に反射して巨大な水飛沫のドームとなり、あたり一体を包み込む。左右側壁は傾斜が強く、この先に進む者の覚悟を試しているかのようだ。

憧れの剱沢、その象徴ともいえるI滝を目前に様々な感情が駆け巡るが、目下最優先なのは『渓谷登攀(大西良治 著)』の表紙と同じポーズで記念写真を撮ることだ。今回のメンバーは全員『渓谷登攀』に大きく影響を受けていて、I滝といえば渓谷登攀の表紙、ということになる。著者 大西氏と同じポーズをとり各々記念撮影した。

登攀は左岸を30メートルほど登ったところから始まる。今回我々が進むのは大西ルートで、ここからI滝落ち口まで真っ直ぐにトラバースしていくラインだ。1ピッチに2箇所くらい現れる灌木が荷揚げを阻みいやらしい。空身なら簡単に登れても連泊装備でリードするのは結構怖い、という感じで、工夫しながら前進していく。

3ピッチロープをのばすとH滝からI滝に続く水路が見えた。磨かれた水路状のH滝の先には壮絶な渦巻き状水流を発生させる釜があり、そのすぐ下でI滝が巨大な円形空間へと消えていく。私からは30メートルほど離れているにも関わらず、その威圧感に身震いした。

この先1ピッチロープを伸ばすと焚き火テラスに到着。先人たちが少しずつ整地したからだろう、大岩壁の中腹にあるとは俄かに信じられない平坦地だ。時間は14時。ひとまず荷物を置き、この先の偵察に向かう。

焚き火テラスから裏に回り込むと彼方にD滝が少し見えている。目にした者みなが絶賛するD滝は、この距離でもはっきりと感じられるほど妖艶なオーラを放っていた。

明日の登攀ラインとなるトラバース開始点には大量の残置とロープがあり、というか結構新しいスタティックロープもあったのには驚いたが、まあ昔から開拓されてきた渓谷なので仕方ないよね、と無理やり納得するしかないような残念な状態だった。

とはいえ、あるものはありがたく使わせてもらう。残置アンカーから谷底まで空中懸垂で降りていく。このセクションの水線を登攀する予定はないが、実際にこの目に焼き付けずに素通りするわけにはいかない。

剱沢大滝核心部のど真ん中に降り立ち、満足するまで空間を満喫してから焚き火テラスへと戻っていく。

空中に垂れ下がったロープを数十メートル登り返すのには時間がかかる。薄着で寒そうにしているパートナーに「先に行きなよ」と譲り順番が最後になるが、ロープを登っていくパートナーを数十分も待っていると寒すぎて先に行けば良かったと後悔した。

最後の私が登り返し、リュウスケとロープなどの回収をしていると、姿が見えなかった木村商店が嬉しそうに顔を覗かせる。

「焚き火テラス電波通じる!SNSに投稿したわ」

どうやら一番最初に極寒の谷底から抜け出し、疲れた体で後処理をこなす我々を放置してSNSに没頭していたらしい。

「焚き火テラスで電波探すようなやつは沢やめちまえ!このSNS中毒者め!」「俺らが回収頑張ってるのに、テン場の準備じゃなくてスマホかよ、ありえないっすわ」

この夜はリュウスケとともに心ゆくまで木村商店を罵倒して、気持ちよく眠りについた。

3日目

予報通りの雨となり寒い1日が始まる。

「キム、電波通じるんだよね?今日の天気どうよ」

きのう罵倒した手前、言い出しにくかったが、一人だけ電波が通じる木村商店のスマホに頼り天気を確認する。どうやら、雨は昼前に本降となり午後に止むようだ。とりあえず前進できるコンディションなのでトラバースを開始する。

このトラバースはホールド・スタンスすべてが曖昧なもので、難しいというより、怖い。開拓者がこの高度感のなか、じわじわと前進していったことを考えると、数メートルおきに現れるリングボルトも致し方ないように感じてくる。トラバース中間地点まで進むと、D滝を真正面に望む位置に出た。

日本最高峰の険しさを誇る剱沢大滝核心部の廊下帯を下流に携え、側壁数百メートルのゴルジュ最深部にありながら、音もなく羽衣のように水を落とすD滝の、穏やかさすら感じるその姿に、しばし足が止まる。この景観を見られただけでも、ここにきた甲斐があった。

次第に雨足が強くなり渓谷内は濁流と化していく。登攀予定のD滝も、滝前の台地に到着する頃には増水して轟音を響かせる豪瀑と化していた。滝壺は濁流で渦巻き、一見して絶望的な見た目をしているが、登攀ラインは意外にも増水の影響はなさそうだ。ダメ元ではあるが、登攀ラインに取り付けるか確認しに谷底へと空中懸垂で降りていく。幸い、絶望的なのは見た目だけで、簡単に登攀ラインに取り付けることがわかり、ホッとした。

D滝の登攀は磨かれたスラブから始まり、傾斜が強くなってくると草・泥の沢登りらしい斜面になる。登攀自体も快適で楽しいが、それよりも、憧れのD滝の真横にいるという事実に高揚した。上部で快適な岩壁を10メートルほど登ると滝頭に出た。振り返ると剱沢核心部の回廊が先の方まで見える。2時間前までの増水が嘘のように、水流は透明度を取り戻しつつあった。

D滝から先は随分と側壁の高度が落ち、先ほどまでのような緊張感はない。

剱沢大滝さいごの滝を越えると白亜のゴルジュが待ち受けていた。記録の少ないセクションであり期待していなかったが、このセクションだけでも相当に見栄えが良い。しばらく進み、おあつらえ向きの岩屋を見つけてテン場とした。

4日目

目を覚ますと、リュウスケが口をきかなくなっている。どうやら不貞腐れているようで、理由を正すと過去の記録をなぞり、観光することしかできなかったのが悔しい、という。今シーズンはリュウスケ・木村商店と一緒に融雪沢・桧山沢など満足いくパイオニアワークを複数やってきていて、それらの痺れるような体験と比べれば確かに物足りなかったというのは共感できるところだ。

とはいえ、3日目に雨が降り大増水した以上、今回のラインをとる以外の選択肢がなかったことは明白だが、不貞腐れたリュウスケにはどう説明しても暖簾に腕押しなので、取り敢えず放っておき、歩き出す。

白亜のゴルジュの余韻を残すゴーロ帯をしばらく歩くと、剱岳を正面に望む大河原に飛び出た。登山道が並走する穏やかな空間に現実感がなく、この水があの壮絶な剱沢大滝に注ぎ込むのか、と水の流れを目で追いかける。今日は天気が良い。この辺りは紅葉も始まっていて、帰り道は気持ちの良いハイキングとなりそうだ。

総評

大水量・大滝・側壁という、険しいゴルジュに必要な要素すべてが揃った国内有数のゴルジュ。核心セクションは短いがその上流に続くゴルジュや源頭部、さらにはアプローチも含め剱沢の世界観として完成されている。

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