Low’s gully(ローズガリー)|キャニオニング

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Low’s gullyの詳細は、渓谷観光 別冊「Low’s gully」に収録されます。

渓谷観光 別冊「Low’s gully」の詳細はこちら(公式オンラインストア)

マレーシア・ボルネオ島にそびえる東南アジア最高峰、キナバル山。その北面、山頂直下から切れ落ちる巨大な花崗岩の壁に、氷河の侵食によって刻まれた異様な渓谷がある。Low’s gully(ローズガリー)だ。

源頭部の側壁は最大で約800m。白い花崗岩のビッグウォールが垂直に立ち上がり、その足元を深く抉られたゴルジュが走る。あまりの谷深さに、地形図はおろか、衛星写真などいかなる手段をもってしてもその内部を窺うことはできない。

そう、この渓谷の内部を解明するためには、実際にこの足で中に踏み込むしか無いのだ。

Low’s gully(ローズガリー)|キャニオニング|2026.2.7-17
メンバー:大西良治・田中彰・鈴木助・大木輝一

TV放映:NHK BS 地球トラベラー ボルネオ“死者の谷”に挑む マレーシア・キナバル山」【BS】2026/4/18(土)21:00〜22:29 にて放映予定

Low’s gully

ローズガリーに立ち入るのは我々が最初ではない。過去にもいくつかのパーティーが沢登り、あるいはキャニオニングによってその内院を目指した。大増水による撤退や、大量遭難など、様々なエピソードが残るローズガリーが解明されたのは2003年。ベルギー隊がキャニオニングによってローズガリーの通過に成功したのだ。

2003年といえばそれほど昔ではない、と感じるかもしれないが、当時の撮影機材や装備の制約により現在確認できるローズガリー内部の映像は極めて不明瞭なものばかりだ。さらに、渓谷の途中からスタートしたベルギー隊の挑戦は、源頭に謎を残したまま完結した。過去多くの探検家の心を掴み、現代に至るまで詳細な映像記録がない渓谷とは、なんとも興味深い。

ローズガリーでのキャニオニングを、実現させるまでの道のりは簡単ではない。周辺エリアの立ち入りは厳格に管理されており、とくにキャニオニングのような一般登山道を外れる行為には様々な申請が必要になるうえに、許可が下りる可能性は低い。数年前の遠征計画では、キナバル山域を管轄するサバ・パークスに申請を取り合ってもらえず、計画が頓挫した経緯もある。

ところが、思いがけない企画がリーダー大西の元に転がり込んでくる形で、遠征のチャンスが巡ってきた。我々では相手にすらされなかった各種申請を、難なく取り付ける優秀な助っ人の登場により、昨年諦めたローズガリーでのキャニオニングが急に現実的なものとなる。

今回の我々は観光以外の目的でローズガリーに訪れることになっている。仕事として遠征をするのは初めての経験だ。大使館から返送されてきたビザの証明スタンプに添えられた『不法薬剤の持込みは死刑に処されます。』という赤文字を眺めながら、始めて訪れる地での探検に想像を膨らませた。

入山前

キナバル空港から、助っ人が手配したタクシーに乗り、助っ人が手配したホテルに到着。事前工作のために前入りしていた大西との合流までの数日間、やることもなく暇なので、助っ人に飯代をたかり食べ歩きで暇を潰す。

1日でそれにも飽きて、ビールを大量に買い込んでホテルに引き篭もる。

「マレーシアのビール、どれも薄すぎだろ。既に日本に帰りたいわ」

2月といえど、マレーシアの日中気温は30度以上になる。そのうえ日差しが異常に強く、サングラスなしには目を開けられないほどだ。暑いのが苦手な私は全く何もやる気が起こらず、怠惰な時間が過ぎていく。

2日後。リーダー大西が下山してきた。そもそもなぜ事前工作が必要だったのかといえば、予定している2003年のベルギー隊のアプローチルートが不明で、かつ諸般の都合から脱出経路の確保が必須だったこともあって、いつものようにオンサイトで源頭から立ち入ることができなかったのだ。

下山してきた大西は、ローズガリーの地形の素晴らしさと、アプローチルートの確保が無事完了したことで上機嫌だった。事前工作隊の休息を兼ね、入山は3日後の2月7日となった。

2月7日

朝、ホテルの庭に出るとキナバル山が姿を現している。東南アジア最高峰のキナバル山の威容に、今日からの探検が良いものになりそうな予感がした。

初日の予定は、一般登山道を通り、標高3000m付近の山小屋まで約1600mまでのハイクアップだ。今回は結構な人数のポーターも同行する。ポーターが運べる荷物重量には限りがあるが、ダメ元でザックの中身を全部渡したら、アッサリと受け取ってもらえた。ラッキーだ。ペナペナになった推定5kgのザックの見栄えが悪いのでデカい防水バッグを空気でパンパンにして、ハリボテの大荷物を作って歩き出す。

途中、風通しの良い岩場で休んでいると、ドローンを飛ばしていた観光客がレンジャーに捕まっていた。「ドローンの無許可飛行は罰金25000リンギット、運の悪いやつだ」とポーターが呟く。25000リンギット、日本円にして約100万円。ドローンも没収だという。なんとも厳しい罰則だが、我々にはドローン飛行許可がある。これも助っ人のおかげである。

夕方到着した山小屋(パナラパン小屋)での一夜は、下界と変わらないサイズのベッド、無料の水、そして絶景レストランでのディナービュッフェなど、これまでの探検では味わったことのない豪華なものだった。そういえば、マレーシアに入国してから一度も自分で何かを予約したりしていないし、毎日快適なベッドで寝ている。助っ人様様である。

誤解の無いよう補足すると、コーディネートは助っ人に丸投げしているが、費用は自己負担となるため、少しでも遠征費をケチりたい私は、幾らかかるのかと気が気でなかった。

2月8日

夜明け前、小屋を出発し山頂を目指す。御来光に合わせて山頂へ向かうのがキナバル山の一般的な登山スタイルだ。山頂を見上げると、登山者のヘッドランプが連なり、まるで光の帯のように続いている。尾根一つ隔てた先には、世界有数の険しい渓谷があるというのに、こちら側にはこれほど多くの登山者がいる。この対比こそ渓谷探検の面白さと言えるかもしれない。

標高3,500mを超えると、キナバル山特有の花崗岩が姿を現し始める。そこに広がるのは、果てしなく続くスラブの世界だ。かつて氷河が存在した山頂付近には、至るところに氷河の侵食痕が刻まれている。広大なスラブを歩きながらそれらを眺めていると、この場所に立てただけでもマレーシアに来た価値があったと感じられるほどユニークな景観だった。

山頂で記念撮影を終え、いよいよローズガリーへのアプローチを開始する。リーダー大西が事前工作を済ませているので、そのルートを辿るだけなのだが、ここで思わぬ出来事が起きた。

山頂付近。登山道から尾根を挟んだローズガリーを見下ろす。コマンドコールドロンと呼ばれる門型の地形のその先で、谷は垂直に数百メートル標高を落とし、800メートルの側壁を携え彼方まで蛇行しながら谷筋を刻む。あまりにも谷が深く険しいため、どれほど覗き込んでも谷底を窺うことはできない。あまりにも壮絶な光景を前に、源頭部をパスする当初のルートではなく、ここから直接入渓したい、とメンバー全員が変心してしまったのだ。

源頭からの下降にプランを変更するも、実際に下降を開始するのは明朝だ。まだ昼前で時間には余裕があり、各自、これから始まるキャニオニングに想像を膨らませながら、ダラダラと時間を過ごす。しばらくして、大西の姿が見えないことに気づいた。源頭の地形を偵察しているらしい。1時間ほどして戻った大西は、地形図や過去の記録と照らし合わせ、ローズガリーの源頭部は水平距離1200m落差700mに及ぶと告げた。

今回の装備は、事前に確保したルートから下流へ下降する前提で準備したもので、源頭部の攻略は想定していないことを、今になって思い出す。源頭部で装備を消耗すれば、途中で行き詰まる可能性が高い。

先ほどまでの高揚感は消え、冷静に考える。5分ほどの協議で結論は出た。当初の計画に戻り、事前工作ルートを利用することにした。源頭は、当初ルートをさっさと片付けて、遠征の最後に改めて訪れれば良い。衝動と自制、相剋するそれらをいかに研ぎ澄ませられるか、それこそが冒険の基本なのだ。と、大先輩の言葉を思い出した。

そこからは、大西が事前に設置してくれていた目印やルートを辿り、かつてベルギー隊がキャニオニングを開始した地点と同じ、「ローンツリー」と呼ばれる台地までアプローチを行った。

2月9日

ローンツリーから谷底までは「フレミッシュショートカット」と呼ばれるルートを辿る。その落差は、ベースキャンプとなるローンツリーからおよそ300m。

5mm程度の細引きで懸垂下降を繰り返しながら下降していく。幸いにも岩は非常にしっかりしており、丁寧に下れば特段危険を感じる場面はない。谷底へ到達するまでにおよそ2時間を要した。

谷底から見上げると、源頭部の側壁が遥か上空まで伸び上がり、その先にわずかに青空が見える。まだ源頭付近ということもあり、水量は少ない。しかし地形の規模は、私のこれまでの経験にないものだ。源頭部でさえこれほどの地形だ。この先に進んでいけば、果たしてどのような世界が現れるのだろうか。

2月10日

序盤の核心部を午前中に通過し、私はテル(大木輝一)とともに、前進のルート工作を行っていた。大西と田中はキャンプ地の整備をしてくれている。

ローズガリーは、日本でいうところの屋久島のような気象条件をしていて、天候が安定しない。昼過ぎには決まって雨が降るのだが、これがスコールのような大雨になることがあり、昼頃までにキャンプ地を見つける必要があるのだ。

しばらく前進すると、次第に雨足が強まり、本降りになってきた。濁流となりつつある本流に若干の焦りを感じつつ、区切りの良い場所まで偵察を行う。引き返す頃には大雨の様相を呈してきた。キャンプ地まで引き返すには、数十メートルの空中ユマーリング(ロープ登り)を含め、水路の渡渉が何度もあり時間がかかる。ルート工作用に最小限の荷物しか持ってきていないので、身動きが取れなくなったらアウトだ。

全速力で谷底を走る。往きには腰くらいだった滝壺は胸までの濁流になっていて、意を決して泳ぎ渡った。先ほどまで気持ちの良いミストを降らせていた支流滝も、下を通過するのを躊躇うような水量だ。キャンプ地まであと少し。対岸に田中の姿が見えた。しかし、いよいよ本格的に増水した本流は、台風の用水路のようにプレッシャーを放ち、到底渡渉などできそうにない。

どこかに弱点はないかとウロついていると、テルが濁流の側に立ち、対岸を伺っている。まさか泳ぎ渡るつもりじゃないよな、そもそも泳ぎ渡るにしてもロープ持ってけよ、次の俺が渡れないじゃんか、と慌ててテルの元へと走る。そのとき、対岸からホイッスル一閃、巨岩の上に立った田中がハンドサインを送る。チロリアンブリッジだ。

濁流に呑まれつつある巨岩から田中がロープを投げる。一発でロープを受け取り、チロリアンブリッジを構築していく。スタティックロープによるチロリアンブリッジでは、支点に強大な力がかかる。支点崩壊イコール、ロープが絡まった状態で濁流に投げ出されることになり、リスクの高い技術だ。万が一にも支点崩壊することがないよう、入念に分散支点を構築した。OKのハンドサインを確認して対岸へと渡る。無事、安全地帯に戻ることができた。

よく見るとこちら岸の支点は小さなハーケン一枚ではないか。ハーケンとは岩の隙間に差し込んで使う金属製の器具で、ボルトのような堅牢性はない。設置した大西は「抜けるわけがない」と自信満々だが、どう考えても危険だ。無事に渡った後とはいえ背筋が凍る思いだった。そもそも、田中に指摘されなければバックアップをとる気すら無かったやろ。

私は現場でチロリアンブリッジをやるのは初めてで、それがこんなシビアコンディションになるとは思っていなかった。スーパースター田中の技術講習を毎年受講していて本当に良かった。受講していなかったら今頃、テルともどもローズガリーの藻屑となっていただろう、、、と、まぁ、冗談のようなヨイショはさておき、いざという時にしか使わない技術は、日頃からの予習復習を怠ってはいけないのは確かだ。

2月11日

昨日の増水が引く気配はない。この先に一番の核心部と思われるゴルジュが二箇所連続するため、天候が安定するまで停滞することにした。こんなこともあろうかと、暇つぶし用にスマホに何冊か新書をダウンロードしてきていたが、チョイスが悪かった。内容が硬すぎて、丸一日かけて半分ほどしか読み進められない、苦行のような時間を過ごすことになる。隣で冒険本を楽しそうに読むテルが羨ましかった。

2日14日

一昨日にローズガリーの下降を終えた我々は、エスケープ地点へと向かう尾根をナメクジのような速度で進んでいた。棘植物、蔦、ヒル、高温。昨日の朝、4時間で終わると見込んだ尾根歩きは、藪でのビバークを含め既に1日以上続いている。猛烈な藪や地形図にない岩壁に阻まれ、登りも下りも1時間に標高差100メートルも進めない有様だ。

夜のうちにヒルにボコボコにされ、カサブタだらけになったた口と顎を掻きながら、永遠に続くかのような藪を進む。高密度に空中に張り巡らされた蔦植物は、掻き分けて進むことは不可能で、一本ずつ丁寧に折っていくしかない。そして巧妙に擬態した棘植物を掴んでは悲鳴をあげる。休憩のたびに足にまとわりつく数十匹のヒルを引き剥がしてはストレスをぶつけるようにぶん投げた。

夕暮れ。なんとかエスケープ地点に辿り着く。出迎えてくれた助っ人が「沢で水浴びしてきたんですか?」という。汗で全身ずぶ濡れになっているだけだ。カッパは穴だらけになり、全身泥まみれ。足回りには無数のヒルが潜んでいる気配を感じるが、それを振り払う元気もない。本当に、酷いフィナーレだった。

2月18日

ローズガリーの下降を終えた私たちは、キナバル山山頂まで戻ってきていた。10日前に目にした瞬間から忘れられなかった、源頭の壮絶な空間へと下降して、その全貌を解明する。改めて、上部から見下ろしただけでこの空間が世界有数だと確信できる。今からここに下降していくと考えると、わざわざ4095メートルもあるキナバル山に2度も登った甲斐があったというものだ。

ローズガリーの詳細については、渓谷観光 別冊「Low’s Gully」(写真集)に収録します。

僕たちが感じた圧力や、光の届かない谷の質感、そこで流れる時間の感覚を、できる限りの写真とともに。60P(編集中・予定)フルカラーで、僕たちの感じたLow’s Gullyそのものを、お伝えします。

渓谷観光 別冊「Low’s Gully」の発売情報は、公式インスタグラムおよび当ブログで告知予定です。

渓谷観光 別冊「Low’s gully」の詳細はこちら(公式オンラインストア)