青春漂流

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私が高知県へ移住してから、6年と少しが経つ。

少し前、「私にとっての高知移住と現代の冒険」という記事を書いた。

それから1年半が過ぎた今、改めて自分の移住後の生活を振り返ってみると、当時とはまた違った景色が見え始めている。いま、私が感じている、虚無感について書いていこうと思う。

高知移住で、私が目指していたもの

当初私は高知に移住するにあたって、何を目指していたのか。

きっかけはよくあるものだ。「他人に敷かれたレールの上で生活するのは嫌だ」という感覚が出発点だった。自分で決めた楽しさや幸福を、自分の責任で追求したい。そして、それを実現する場所として、なんとなく一番田舎っぽい高知県を選んだ。

移住前の段階からの目標は大きく二つだった。

一つ目は、サラリーマンを辞め、自分でビジネスを立ち上げること。

二つ目は、身の回りのことをできる限り外注せず、自分の手で完結させられる能力を身につけること。

なかでも重視していたのは、「自分の家を自分で建てる」という目標だった。自分の人生に大きな影響を与える家を、自分の手で、自分の力だけで作り出すこと。それは「自分の人生を自分のものとして引き受ける」という、移住の目的そのものに、強い意味を与えてくれる行為だと考えていた。

そしてもう一つ。高知に移住して数年が経った頃、「探検」と出会うことになる。

現代にもなお、人跡未踏の地は世界中に存在し、現代になってようやく人類が到達可能になった険しい場所へ踏み込んでいく冒険行為が残されている。まるでおとぎ話のようなその現実を、偶然にも知ったことで、私の価値観は大きく揺さぶられた。

それ以降、探検は、当初から掲げていた二つの目標に加え、三つ目の目標として私の生活の中に位置づけられ、現在に至っている。

現在地

これらの目標を今あらためて振り返ってみると、どれも当初の想定より、ずいぶんとうまくいっている。

まずはビジネスについて。

高知という土地柄を考えれば、独立後はアルバイトなどの副業をしながら、なんとか生活していくことになるだろう。移住前は、そんな覚悟をしていた。しかしありがたいことに、独立初年度から本業のみで生活することができ、今日に至る。

次に、家について。

移住前に思い描いていたのは、いわゆる田舎暮らしの定番とも言える、古民家を少しおしゃれに改装し、夏は多少暑く、冬は暖炉の近くから離れられなくなるかもしれないが、それも含めて楽しむ。そんな暮らしを想像していた。しかし実際にプランを組み、手を動かし始めると、普通では物足りなくなってくるものだ。結果として、耐震化、高気密化、高断熱化、すべて自分の手で行い、古民家ながら現代住宅さながらに快適な家へとリノベーションした。

そして探検について。

探検と出会ってから数年という短期間で、「称名廊下」という、日本国内に残されていた世界屈指の課題に、自分なりの答えを出すことができた。幼い頃、書籍や、あるいはテレビの画面越しに眺めた、生と死の分岐点を乗り越えた先の、人跡未踏の地に、いま自分自身が足跡を刻んでいるのだ。

こうして書き連ねると、私の移住生活はいかにもうまくいっていて、「なんだ自慢話か」と思うかもしれないが、私が今この文章を書こうと思った理由は、そこにはない。

青春漂流

現在、かつての目標たちは、思い描いていた以上に私の近くにあるように思う。それなのに、今の私を支配しているのは、一種の虚無感のようなものだ。

移住当初、カオスに支配されていた私のスケジュールは、いまでは成果に直結するタスクばかりになりつつある。その理由は、人生を賭けるべき目標もとい冒険行為が、いつの間にか「惰性で続けられる生業」へと変質してしまったからだろう。

ビジネスを始めた当初、できるかどうかも分からない中で、自分なりに必死で考え、周囲から見れば決して格好良いとは言えないやり方で、がむしゃらに前進していた。簡素な設備、古くさい方法で物を作り、それをあちこちに持ち歩いて、少しずつ売った。

家づくりだって、私は家を建てる現場を見たことすらなく、当然、何も分からなかった。建築現場で飛び込みで働きながら学び、自宅に当てはめていく。一工程進むごとに調べ、考え、家が倒壊してしまうのではないかという恐怖と向き合いながら、地道に手を動かし続けた。

探検もまた同じだった。探検と出会ってすぐにその魅力に取り憑かれ、自分に何ができるのかを確かめるように年間100日以上を探検に費やし、毎晩の日課は地形図と地質図をしらみつぶしに眺めることだった。

何事も、はじめたばかりの頃は、かっこわるくて、成果も出ない。それでもやるしかないから、がむしゃらにやる。しかし、ある程度の成功を収めたあとにも、継続して情熱を注ぎ続けることは極めて難しい。

今の私にとって、ビジネスも、家も、探検も、一般社会の枠組みで説明可能な生業に変質してしまった。かつての、カオスに支配されていた頃のような、触れたら火傷するようなかっこよさは、もう無い。

自分の人生を自分以外の何ものかに賭けてしまう人がどれほど多いことか。自分以外の誰か頼りになれる人、頼りになれる組織、あるいは、自分自身で切り開いていくのではない状況の展開などなど。他者の側に自分の人生を賭ける人が、世の大半である。

しかし、空海にしろ、この連載に登場した若者たちにせよ、自分の人生をそうしたものに賭けようとはしなかった。彼らは、他者の側にではなく、自分の側に自分の人生を賭けたのである。

青春漂流(講談社文庫) 立花隆

過去の私に、強烈なビンタを喰らわせ、強く背中を押してくれた書籍の、いちフレーズが思い出される。

かつての目標も、いつしか「自分自身で切り開いていくのではない状況の展開」へと変質していく。

蛇足ではあるが、これらが容易に極められるものだと言いたいのでは無い。私自身まったくもって極められていない。しかし、これらに日々情熱を注げるかどうか、その一点に冒険性の全てが掛かっているのだ。

自分の側に自分の人生を賭け続けられる人間であり続けることこそ、私の人生の目標であり続けたい。

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